「おれらはおれらだからね」と自信を持って言える人はどれくらいいるのか

はじめまして!megurinaと申します( ^ω^ )

日々感じたことを文字化する時間なんてとれないし〜と言い訳し、ましてや発信するなんて恐々至極でできなかったのですが、「やりたい、でもできない」の人生に少しでもさようならをするために始めました。

へたれなので、、、読んでほしくない内容は書きません。

ちらっと覗いてくださると嬉しいです…!

 

今日は、タイトルの通りです。

「おれらはおれらだからね」と自信を持って言える人は、世界にどのくらいいるのでしょうか。

ちなみに私は難しいです。笑 悉く「うぅぅぅ…」となってしまいます。

 

高校生のころ、中学校が一緒の、違う高校に進学した方とお付き合いをしていました。

その年代には珍しく、約3年続いたんです。

そう、周りからは珍しがられるのです。珍しいことは、田舎では嘲笑の的になります。。。

中学校の同級生から「まだ付き合ってるの?」と少し笑いを含みながら何回言われたことか。その度に「うぅぅぅ…」となる私。私は幼かったので、平気でその話を彼にしてしまっていました。彼からしたら、「悪いことしてないんだから堂々としてれば?」って思いますよね。(配慮が足りず本当に情けない、、、)

 

この話を思い出したのは、他でもない、「おれらはおれらだからね」がきっかけ。

この台詞は、漫画「喰う寝るふたり住むふたり」日暮キノコさん作)の主人公の一人、「のんちゃん」の台詞です。

「のんちゃん」と「リツ子」は、高校から約10年付き合い、そのほとんどを一緒に住んでいます。だから、同窓会に一緒に参加することもある。そんなとき必ず聞かれるのが「結婚しないの?なんで?」です。

ふたりはいろいろ考えます。何を言えば同級生たちは納得し、それ以上深追いしてこないのか。そしてある回答を持っていざ出陣!

 

でも…実際聞かれたときに、「のんちゃん」からすぅーっと自然に出てきた言葉が「おれらはおれらだからね」でした。

そのときのゾクゾク感と言ったら、、、もう、、、!!でも安心感もありました。「あーこれかー」って。そうそう、これが言いたかったんだって。

それが言えないのは、きっと、自分に迷いがあるから、戸惑いがあるから。だから、そんな悪気のない質問に「ぐさっ」とされてしまうのです。

 

そこまで書いてなんですが、逆に、少しの迷いのないものってあるのか?

例えば、今日はハンバーグとパスタどっちにしようかな。ハンバーグの材料を買ったあとに、「やっぱ彼に相談してから決めればよかったなー」なんてゆらぐ。すごい些細なことでもヒトは揺れる。それが「他人からどう思われているか」ってやつがくっついてきた段階で、もう、遊園地のコーヒーカップ並みのぐらんぐらん。これ、もし彼に相談していたとしても何か別のことで悩んでいたと思う。

そう、どんなに悩んで考え抜いて相談しまくって出した結論でも、揺らぐこともあるよね。って。

 

だから、自分の選択している理由を、何回も何回も反芻することが大切なんじゃないかなって。そして、自分の選択がくれた経験をかみしめる。「あーこれ選んでよかったなー」って思った気持ちを大切に残す。

理由はきっと更新されるはずです。だって、「よかったなー」って思った気持ちも「やっぱやめとけばよかったなー」って気持ちも残っているからです。それらを考えて、また選択していく。

 

そうやって、自分の中で整理されればされるほど、他人の質問には「おれらはおれらだからね」と自信を持って、でも嫌味なく、相手に伝わるように言うことができると思いました。

 

私ももうそろアラサーで、いろんな選択が待ち構えています。周りは転職したり、起業したり、地元に帰ったり、結婚したり、お子さんができたり、いろんな選択をしています。私も生きている限りいろんな選択が待ち構えています。それに向き合って、「私は私だからね」を少しでも増やしたい。そうやって生きていきたいです。今更ですが、選択って、生きている限り続くんですね。

 

さあ、今日のお夕飯は、ドライカレーに決めました!笑

あなたの「おれらはおれらだからね」は、果たしてなんでしょう?

 

 

megurina*